11/20(日)タイポグラフィ入門講義に行ってきた
別日に天神のRethink Booksさんで行われた「『コーヒー屋×デザイナー』~本質をあぶりだす~」に参加した際、たまたまのご縁でもらったフライヤーでこのイベントを知った。
なんでもその成り立ちや仕組みが気になる質で、もともとタイポグラフィにもカリグラフィにも大きな関心がある。カーペンターペンシルをお持ちの方はご持参ください、と紙面にあったので実際に手を使って書く作業があるのだなと想像した。
そしてその日たまたま出会った吉川先生が、「あ、これは僕の恩師だ」と仰ったので余計に関心が大きくなる。あとなんだか主催のスタジオポンテさんの名前に覚えがあって、そうだ卒業制作課題にこちらのウェブサイトを選んだ方がいたんだった、と思い出した。(見るとリニューアルはされていない様子だった。)やはり福岡、せまい。
iPhoneのカレンダーを見ると、当日は空いている。もはや行かない理由がなさそうだった。
書体カタログとしてめくるVOGUE
当日開催場所に行ってみると、すでに参加者の方々で賑わっていた。僕は行かないかなぁと仰っていた吉川先生もいらしていたし、今回も仕掛け人はCLICK COFFEE WORKSさんだったらしく古賀さんも迎えてくださって、知った顔があって少し安心。
どんな流れなのかな、ときょろきょろそわそわしていると講義資料が配付された。全14ページの、大学で配られるような本格的な資料で嬉しくなった。
持参した雑誌やフライヤーを机に広げ、まずは目についたいろんな書体を切り出して並べる作業。こういうときはVOGUE、とそんなに深く考えず持参していたのだけど、あらためてめくると本当にいろんな書体が見つかってああだこうだ言いながら切り取るのが楽しかった。
VOGUEは書体の宝庫だ。書体が今のファッショントレンドに合わせてあるから、タイポグラフィの知識が浅くても「これはもしかすると意外に昔からある書体なのかな」などとファッションのテイストから想像できるのも良いし、名だたるメゾンの使っている書体をまじまじ見ると、そのスペースの取り方や小さなアレンジから受け取る印象が洋服のそれと合っていたり違っていたり自分なりに妄想が膨らんで、まだまだたっぷり楽しめそうなワークだった。
書体スタイルの成り立ち
切り出した書体を仲間ごとにグルーピングして貼り完成させた後は、配付資料をもとに河地先生からの講義を聴いた。書体のスタイルが遷移していった歴史について伺い、その後は書体のデザインについて教わる。ああそうだったそうだったと頷きながらメモを取る。なんとなく知っているはずのことも、時間が経って忘れてしまっていたし、別の先生から聴くと使うことばや表現がちがうこともあってより理解が深まる。河地先生のなかにあるたくさんの知識から、今日の参加者向けにと少しずつ引き出しを選んでお話してくださるので、聴きやすかった。
普段、書体のセリフ部分が気になってじーっと見たりするので、そうか、と合点がいったのは「道具」の話だった。(絶対習ったのに頭になかった。。
彫刻刀を使って石に彫っていたから、セリフの端部分が尖っていた。
カーペンターペンのように平たいペンを使って書いていたから、そのセリフの端が少し丸みを帯びるようになった。
そのペンを斜めの角度に固定して書いていたから、アルファベットの「O」は左右それぞれ左下と右上にふくらみができていた。
産業革命の後はコンパスを使って書くようになって、もっと対照的だったり幾何学的なルールが現れた。
とてもベーシックなことだけど、ものの形には理由があって、それを認識しているかいないかは、やっぱり自分のデザインに影響する。例えば文字の書き順とか。何のために使われる書体なのかを明確にすることも大事だけど、いざ見た目を整える段でもこういう基本的なことを疎かにしてはいけないなとお話を聴きながら考えた。
視覚調整
文字ひとつずつの高さや大きさの調整、スペーシング、隅取りについても配付資料を使いながら解説していただいた。
隅取りについてあらためて考えると、写植機の時代には物理的な仕組み上、にじみが発生するだろうからそのために隅取りを施すのは確かに理解できる。今の環境において、そういった工夫を取り入れるかどうかは、デザイン対象とその周辺事情によるのだろうと思った。たとえばコンピュータのモニタを通して見る、文章やロゴの書体はとてもクリアに見えるだろうから、ほとんど隅取りや角出しの必要がないように思える。とはいえ、モニタを通して見るものだったとしてもそのサイズや意図によって、調整した方がよいケースもきっとある。
この場合は必要、この場合は不要、と先入観を持ってしまわないよう、とにかくひたすらに実際に使う場面のことを考えるしかないのだろう。
河地先生の講義を受けていると課題でロゴデザインをしたときの授業内容を思い出した。詰まるところ、こういった調整の部分は感覚に頼るところが大きくて、うまくその感覚に乗れるかどうかはどれだけその視点でものを見てきたかに尽きる気がする。
カリグラフィー体験
最後は、開始前にカッターをお借りして自分で削っておいたカーペンターペンシルを使って、カリグラフィーを体験。今思えば祖母や母がペン先の平たいペンを持っていたけれど、わけもわからずお絵かきなんかに使って、書きにくいペンだなと思っていた。
このくらいね、と教えていただいたペン先の角度を変えないよう丁寧に丁寧に、見本にならってアルファベットを書く。細心の注意をはらっているつもりなのに、弧を描いたり一度紙からペン先を離すと途端にうっかり角度を変えてしまう。カリグラフィーの書き順は通常のそれと異なるので、ペン運びに気を取られて斜めにキープするのが余計に難しい。
自分の書いた文字を見ると、いかにも拙くて初心者の書いた文字と一目瞭然。
芯の形状と持ち方、利き手によってまたその書き手によって書き文字にのこる跡、聞くと見る(やってみる)では大きな違い。とにかく、まっすぐの線がもう難しい。何度も「L」の小文字を練習した。
カリグラファーの方は書体によって30, 45, 60度の傾きを使い分けるらしい。なんなら一画目は30度、二画目は45度、とひと文字の中でも持ち変えるそうで・・・これまでただ綺麗だなぁと見ていたカリグラファー手書きのカードなんかが、神々しく輝いて見えそう。
何のデザインでも、そこには気が遠くなるような労力と時間が注がれているんだな。
河地先生が、ワークの後に見せてくださった私物の資料や、先生と親交がおありのヘルムート・シュミット氏(!)からのお手紙に付いているレターヘッドなどがまた面白かった。
うまく言えないのだけど、自分がいかに知らないかを気づかせてもらえる機会は貴重だと思う。
終わってから、幸運なことに河地先生と師匠とお昼をご一緒して帰った。お二人の思い出話を聞きながら余計に、なんて物腰の柔らかい素敵な先生なのだろうとすっかりファンになってしまった。
たくさん気づきをいただいた以上に、良い出会いを得た1日だった。
河地先生の紹介はこちらに少し載っていた。
http://www.kyusan-u.ac.jp/ksumuseum/_userdata/kawachi1.pdf